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よんで、あじわって、かく。

『トーヴェ・ヤンソン ムーミン谷の、その彼方へ』

冨原眞弓 著

 

トーヴェさんの母、シグネさん。

 

シグネのメッセージは単純だ。

ひたすらトーヴェを励ます。

自分の好きなことをやりなさいと。

 

このくだりで、

『新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。』に

つながりました。

 

knh06.hatenablog.com

 

 

「うれしい」とは

この「からだ」が「かんじる」したことを

 

「そのまんま」

 =「余計な外部フィルターを挟まない」

  =「うつくしい」

 

の状態で「あたま」に「あがる」して、

さらに

 

「そのまんま」

 =「余計な外部フィルターを挟まない」

  =「うつくしい」

 

の状態で「あたま」で「おもう」になり、

 

「そのまんま」

 =「余計な外部フィルターを挟まない」

  =「うつくしい」

 

の状態で「ことば」にして、

 

「そのまんま」

 =「余計な外部フィルターを挟まない」

  =「うつくしい」

 

の状態で「からだ」に「もどす」すること。

 

 

つまり、

 

この「からだ」を「とおる」したものを

この「からだ」が声や文字に変換して

外に出すことができたときの「感情」

 

ってことかなと。

 

 

 

 

 

トーヴェさんの描く物語が「あたたかい」のは、

身近な人たちがトーヴェさんを

「トーヴェ」として「みる」してくれたからかなぁ、と思いました。

 

 

――わたしは、こう感じた。

  あなたは、どう感じたの?

 

――わたしは、こう思った。

  あなたは、どう思ったの?

 

――わたしは、こう考えた。

  あなたは、どう考えたの?

 

 

親子であっても、

夫婦であっても、

だれであっても、

「わたし」は「わたし」で、

「あなた」は「あなた」。

 

「おなじ」であっても

「ちがう」であっても

「そういうもの」として、ただ、うけとる。

 

 

 

 

 

「芸術」を志したひと、というのは

「自分自身と向き合い続ける」ことを選んだひと、なのかなぁ。

 

ということは、

「自分自身と向き合い続ける」をしているひとは、

だれもが「芸術家」ということ、かな?

 

 

あ、ここにつながった。

 

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「藝」とは

なんらかの目指す地点があって、

そこへむかっていろいろやっているうちに、

手順が定まったり、技術が磨かれたりすること。

 

「王」とは、漢字・漢和辞典-OK辞典さんによると

会意兼形声文字です(行+朮)。「十字路」の象形(「道を行く」の意味)と「整然と実の並ぶもちきび(とうもろこし)」の象形から、整然とある行為を継続させていく為の、「み」、「てだて」を意味する「術」という漢字が成り立ちました。

 

「家」とは、漢字・漢和辞典-OK辞典さんによると

会意文字です(宀+豕)。「家の屋根・家屋」の象形と「口の突き出ている、いのしし」の象形から「いのしし等のいけにえを供える神聖な所」を表し、そこから、そこを中心とする「いえ」を意味する「家」という漢字が成り立ちました。

 

とすると、

 

「藝」=「目指す地点」は?

「うつくしい」「うれしい」「たのしい」の

みっつが同時に成り立つところ、みたいな?

 

「術」=「目指す地点」に近づくためには?

「うつくしい」「うれしい」「たのしい」を

こまやかに分析、分類して体系化する、みたいな?

 

「家」=「目指す地点」をどの「座標」に設定するか?

うーん……

「座標」を「えらぶ(きめる)」する、のがいい、ってことかな?

まだよくわからないなぁ。