ロリ・ゴットリーブ 著
栗木 さつき 訳
スイスの高名な精神科医、カール・ユングはこう言った。
「自分の魂と向き合うのを避けるためなら、
人はどれほどおかしなことでもしようとする」
しかし、こうも言っている。
「内面に目を向ける者は、目覚める」
ほんと、それな!
たくさんの人が残してくれた「言葉」のおかげで
「さかさ」を「なおす」、できましてん。
ありがたいことです。
アメリカ合衆国という名の国にお住まいの方々も、
「さかさ」で苦労していらっしゃるっぽいのかなぁ、と思いました。
「さかさ」とは、
体感から生じる感情よりも、
社会的立場(身分)を無意識に優先して行動してしまうこと。
「男」「女」「子ども」「大人」「学生」「大人」「会社員」
などの名詞の存在として扱われるうちに、
自分でもあてはめようとする習慣を身につける、というか。
誰かさんが発した「言葉」にくっついている
「ダレかさんがつくった設定」を、
「自分のからだでつくった設定」だと勘違いする、というか。
だから、
自分が実際にとった行動の理由を、
自分の言葉で説明することができない。
だから、
「あなた自身は、どう思いますか?」とか
「あなた自身は、どうしたいですか?」とか
社会的立場(身分)を取っ払った状態での
意見を求められると「???」になる。
自分が「自分の設定」ではなく、
「他人の設定」で動くと、
「誤差」が生じる。
この「誤差」が
「精神疾患」としてあらわれる場合がある、
ということかなぁと思いました。
でもって、
「さかさ」状態の人などを、
「いきもの(うごくもの)」に「もどす」ための
お手伝いをするのが「セラピスト」。
あくまでも、「おてつだい」だけ。
スポーツでいうところの「伴走者」みたいな。
つまり、
「もどす(なおす)」ができるのは、自分だけ。
自分にしかできないこと。
なので、
ここで必要になるのが「根性」。
「自分の脳(内面)なんだから、
自分でなんとかするぜ!!」
みたいな。
「でも、なおす間、経済活動(労働)的には
不参加となるので、そこを助けてほしいです」
ということを夫に言いたかったんだな、と
いま、わかりました。
共働きでなくなった当初は、夫も不安そうでした。
精神的に崩れた妻を支えようにも、
どうしたらいいかわからない、というのが
不安のなかでの一番大きい理由だったんじゃないかなぁ。
でも今は、
ひとり分の稼ぎで日々の暮らしはこなせてるし、
仕事から戻れば食事ができてるし、
掃除も洗濯もやってもらえてるし、
色々はなしを聞いてもらえるし、
猫たちはかわいいしで大満足、とのことです。
わたしは、
「やりたいように、やる」=「ひたすら読書をする」ことで、
「自分が『じぶん』を認知するにはどうすればいいか?」という課題と向き合う、みたいな感じだったのかなぁと、いまは思います。
以前のわたしは、お笑い番組をみても
何がおもしろいのかさっぱりわかりませんでした。
それがいまでは、声をあげて笑えるようになり、
夫は「よかったなぁ」と嬉しそうな目をして言ってくれます。
夫は、おしゃべりが好きな人。
毎日、たくさん話をしてくれるので、
そこから色々まなぶこともできました。
ようやっと「おしゃべり」ってなんなのか、わかったかも。
「おしゃべり」とは、友人などと気楽に、とりとめのない話をすること。
「気楽」とは、かまえないこと。「わく(かべ)」がないこと。
「とりとめ」とは、まとまりのこと。
つまり、
「おしゃべり」とは、立場や身分に関係なく、
あらゆることを話題に、なんでも話せること。
だからこそ、新しい視点を「きづく(発見)」しやすくなる。
かたよった視界(こりかたまった世界)が
少しずらされることによって、
新しい世界(視点)への扉があらわれやすくなる。
というわけで、来年は、
日本語(第一言語=方言)習得のために、
近所のじいちゃんばあちゃんとおしゃべりをする!
心理学者ジェームズ・プロチャスカの
多理論統合モデル(TTM)で言うところの、
ステージ3:準備期 を終えて
ステージ4:実行期 への移行、って感じ。