『 新版 「読み」の整理学』 外山滋比古著
気を取りなおして。
本が読まれなくなった、とか、活字離れがおきているとか、そういう声が聞こえてくることを憂いていらっしゃる。
なぜそういう現象が起こっているのかを探っていくなかで、「読み方」という行為に焦点をしぼり、じっくり向き合われた内容でした。
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まず、こどものことばは2つに分けられるとのこと。
① 具体的なことば:すでに知っていることを話したり、わかること ⇨ 母乳語
② 抽象的なことば:直接経験したことないことを話したり、わかること ⇨ 離乳語
そして、読み方も2通りあるとのこと。
1⃣ 内容がわかっている文章を読む ⇨ アルファー読み
2⃣ 書かれている内容がよくわからない文章を読む ⇨ ベーター読み
さらに、イギリス社会言語学者B・バーンスタインも2つに分類。
⑴ 限定用法(Restricted Code、略してRC)
ごく親しい間柄などで用いられる省略の多いことば
⑵ 精密用法(Elaborated Code、略してEC)
論理的で、文法的にも整備されたフォーマルなことば
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① ≒ 1⃣ ≒ ⑴ は、
「なにかと ことばを くっつける」イメージ。
たとえば、「🐈 = ねこ」 「🐩 = いぬ」 だと、わかっている状態。
「朝めし食う」と言えば、「朝、食事(ごはん)を食べる」ことだとわかる、みたいな。
② ≒ 2⃣ ≒ ⑵ は、
「なにかに くっついていることばを きりはなす」イメージ。
たとえば、こどものころの「おとうさん/おかあさん」は絶対的存在。父母以外の何者でもない、みたいな。
数年後、こどもが社会人になる。色々な経験をするうちに、父母という存在は絶対ではなく、「個人」なんだな、と実感する瞬間がきたとする。すると、
「おとうさん(おかあさん)は〇〇という名前」
⇨ 「〇〇さんが、わたしの父親(母親)」
のような表現をすることができるようになる、みたいな。
① ≒ 1⃣ ≒ ⑴ ⇨ ② ≒ 2⃣ ≒ ⑵
の ⇨ がスムーズにいかないことにより、意味のわからないことばが出てくる文章は敬遠されてしまうのかもしれない、と解釈しました。
組み立てるのはいいけど、壊すのは怖い、みたいな感じ。
壊し方がわからない、かもしれません。
ことばを覚えるとき、自分なりに定義をするのだと思います。
たとえば、何かの花を見て「これは赤色だ」と。
同じ花を見たほかの人たち(多数)が「オレンジだ」と言ったら、自分の認識が少しズレているのだな、と認めることで「この色 ≠ 赤」と切り離し、「この色=オレンジ」と定義しなおすことができる。
この「認める(受け入れる)」ことが、ことばの定義を切り離しやすく、かつ、再定義しやすくするのだと思います。
とすると、「認める(受け入れる)」ことがむずかしいと感じている人が多いのかもしれない。それはなぜか?
なんらかの「そうでなければいけない」とか「まちがえてはいけない」とか、そういう縛りが強いのかもしれないなぁと思いました。
何に、どう、しばられているのかは人それぞれ。
じぶんのことを、じぶんが知る。
まずはそこからかなぁと思いました。
というか、わたしはそうでした。
おかげさまで、読める本が増えました!
ちなみに、
アルファー読みは、やわらかいよみもの ⇨ わたあめ、とけてなくなる
ベーター読みは、むずかしいよみもの ⇨ かわきもの、かめばかむほど味が出る
みたいな印象を受けました。