高橋 源一郎 著
『ゆる古代ギリシア哲学入門』を読み終えて一区切りついたので、「はじめにもどる」をしてみました。
ちなみに「哲学」とは、「脳トレーニング」みたいだなぁと思いました。
「起点」を明らかにし、「瞬発力」と「持久力」を同時に鍛える、みたいな。
さて、最近?の小学校の国語の教科書には「読み方」が書かれているそうです。
文章があって、「てびき」「せつめい文」というのがくっついている。
『あたらしいこくご 一 上』(東京書籍)は、子どもたちが小学校一年生で最初に「読む」、国語の教科書。動物と子どもたちが描かれた表紙をめくると、最初のページに、六人の子どもたちが遊んでいる風景。それから、ちいさな文字で、
「みんなの せかい」
そして、おおきな文字で、
「おや
なにかな」
次に現れるのは、
「みんな
ともだち」
「さあ いこう」
なるほど。この、ほんとにみじかい文章を、みなさんは、どう読みましたか。
わたしは、ニッポンの子どもたちは、いきなり「みんな」ということばを二回も読まされるんだ! ってびっくりしました。「ぼく」とか「わたし」じゃなく「みんな」なんですね。っていうのが、子どもたちが読んでいる文章を、横から読んでみた、ぼくの感想です。
うーん、こんなに単純な文章なのに、いろいろ考えさせられると思いませんか。
ここで、わたしのなかに浮かんだのは『にほんご』(福音館書店)です。
そこでは
わたし かずこ
からはじまります。
その次に、
(かずこが、一匹の犬を前にした絵があり)
おはよう
ないたり ほえたり さえずったり、
こえをだす いきものは、
たくさんいるね。
けれど ことばを
はなすことの できるのは、
ひとだけだ。
(かずこが、二羽の鳥を見上げている絵があり)
おはよう
というように、
あいさつをしていくかずこといっしょに
「あいさつ」ってどんなことかをみていきます。
「国語」と「日本語」、
この2つを比較すると、
学校は「集団」を学ぶ場。
同じ教科書で、同じ内容を学ぶ場。
だから「国語」としては、
「みんな」からはじまるのかなぁ?
みんな、「おなじ」という共通項を築くために。
そして図書館や書店では
自分が「よみたい」「気になる」を選ぶわけで
「個」としての方向性を築くことになる確率が高い。
だから「日本語」としては、
「わたし」からはじまるのかなぁ?
それぞれの「わたし」からみた世界は「ちがう」ということを学ぶために。
イメージ的に、
「集団」はSOV型(日本語みたいな語順)
「個」はSVO型(英語みたいな語順)
になるかなぁ。
でもって現在、英語(SVO型)が世界共通語とのことなので、
「個」としての「わたし」が
ほどよく確立している状態である
ということが前提にあり、
そのうえで、
たくさんの「個」が、
それぞれの意思によって、
協力体制にある「集団」が「社会」をつくり、
そうした「社会」がつながって「国」とするが望ましい
ということなのかな?