、 、 。

よんで、あじわって、かく。

『アンデルセン童話集1』

大畑 末吉 訳(岩波少年文庫

 

なんか、すごい。

これ、「聖書」かな?

 

と思って、「アンデルセン 信仰」で調べたら、

アンデルセンさんは

ルター派キリスト教を信仰している

おうちで育ったようで。

 

ルターさんについてはあとで調べるとして、

アンデルセン童話」ってめっちゃすごい。

 

え、なに、「かんじる」がわかる人たちは、

これを「ふつう」というか、

「あたりまえ」に読んでる、ってこと?

マジで?

すごすぎでしょ。

 

あ、そっか。

「あたりまえ」になると

「すごい」にはなりにくい、ってことかな?

 

 

 

ひとまず、4つのお話を読んでみた。

 

『おやゆび姫』は「人の認知能力について」

『空とぶトランク』は「脳の取り扱い説明書」

『皇帝の新しい着物』は「言葉の取り扱い説明書」

 

みたいなかんじ、かな?

 

『パラダイスの園』は、「旧約聖書」……

というか「創世記」の続き、みたいな感じ?

 

うーん。

 

ミトコンドリア」って、うかんだ。

 

調べてみたら、

ミトコンドリアDNAは、

母親からのみ遺伝するものらしい。

精子にはいってるミトコンドリアDNAは、

受精すると削除されちゃうとか。

 

ミトコンドリアがうまく機能しないと

「元気」じゃなくなる、ってことかな?

 

ってことは、

ミトコンドリアが「うごく」すれば

「元気」になる、ってことかなぁ?

 

 

 

そういえば、こないだ

「ばらばら」だったおかげで

「歴代の怒り」をうけつがなくてすんだ、という解釈になった。

 

やってきたことをならべてみると

 

① どうやら、「わたし」は「ばらばら」らしい、と気づいて、

  日記や同居の夫に確認して、やっと認めることができた。

 

② 「ばらばら」なのは、

  母による精神的ネグレクトが

  要因のひとつであるようだ、と認める。

 

③ 思い出していくうちに、

  たくさんの「わたし」の多くは

  「母がきらい」ということがわかった。

 

④ どのくらい「きらい」なのかを、

  自分の言葉であらわしてみた。

  「しねばいい」「きえればいい」「ころしたい」などなど。

  「わたし」が「おもう」したことをなんでも言葉にしてみた。

 

⑤ そうして、いろいろやっているうちに

  「ばらばら」だからこそ回避できたものがあることに気づき、

  「おかあさん、ありがとう」になったことで、

  「ばらばら」であることの「おもしろさ」にも気づく。

 

みたいな?

 

 

④から⑤にかけて、そして今もだけど、胃が痛い。

だから、あまり食べないようにしてみている。

そうすると、「おなかがすいた」になる。

 

「おなかがすいた」と

体も頭も「わかる」してから

食べるようにしたからか、

なんかこう、「すこやか」みたいな?

 

 

あと、先日、ジンギスカンを食べていて、

夫が「くさみ」がどうのと言っていたことで

わたしは食べるときに息を止めがちだ、ということに気づいた。

 

実家にいるとき、

食物を食べると同時に

まわりの「空気」を「たべる」しないようにしていた、のかな?

あじわう」をしたくない、みたいな?

 

「匂いがないと美味しさが半減するじゃん」と夫に言われたので、

食事時は意識して呼吸するようにしてみている。

 

 

 

ざっくりいうと、

ミトコンドリアを活性化させるには、

「空腹」と「呼吸(酸素)」が大事なのかな、と。

 

あと、「母」に対するあらゆる思いを言葉にすること、かなぁ?

わたしの場合は精神的苦痛によって複雑化しているだけだから、まだ言語化しやすいのかもしれない。

身体的苦痛が伴う虐待の場合は、自分の身体と相談しながら、ゆっくりゆっくり、1ミリずつ、みたいな感じでやるのがいい、のかもしれない、かな?